つきがわログ(仮)

ブログタイトルはずっと仮名。雑多な話題(プラモデル・鉄道・ゲーム他)を書いていくかと思いますが、よろしくお願いします。

FGOの新聞広告 「under the same sky」の静岡編の北斎ちゃんについての小ネタあれこれ

Twitterで書いたことを当人がブログで引用してまとめるやつ。

 

皆様、こんばんわ

さて、今回はタイトルの通り、本日より全国の新聞各社で始まったFGOの超大型企画「under the same sky」の静岡新聞版「葛飾北斎(お栄さん)」に関する私がTwitterに投稿した小ネタをまとめた、いわゆる「セルフまとめ記事」です

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「こっからってのはとと様でも…」

 

内容は薄いかもですが、よろしければお付き合いください。

 

その1.このロケーションはどこ?

北斎ちゃんの広告なんですが、富士山南麓とは書いてあるものの、具体的な場所は書いてないんですよね。

でも、オタクたるもの

「一緒の空気を(いつか)少しでもいいから吸いたい」

「彼女が見た景色を(いつか)少しでもいいから生で見たい」

って欲求があると思うんです。

 

そんな欲求をどうにかして実現させたい! 

って思いがあった時、ふとある事に気付いたのです。「画像提供:富士市

「画像提供が富士市という事は、富士市が認識している良いロケーションの場所がある→つまり検索すれば出てくるのでは?」

という事で富士市 茶畑」で検索をしたところ出てきた茶畑の場所は2つ

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その中で画像検索などから最もそれっぽかったのがこちらの「大淵笹場」でした。

www.city.fuji.shizuoka.jp

hellonavi.jp

検索結果から出てきた様々なサイトの中から非常に信頼できるサイトとして

JRグループと地元自治体による観光キャンペーン企画デスティネーションキャンペーン公式サイト」と、そもそもの画像提供を行った富士市公式サイト」を確認したところ「大体同じロケーションの画像」が現れたので、恐らくはここで間違いないものと思われます。

聖地巡礼は来年以降にお願いします。(お茶の通販は是非ご利用ください)

その2.北斎ちゃん(お栄さん)の台詞について(一部補足あり)

 続いては北斎ちゃん(お栄さん)の台詞

「こっからってのはとと様も描いてねぇだろぉ?」

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この台詞、一見すると富嶽三十六景」にてこのアングルを描写していない…という事について言及していると思われます(実際存在しない)が、実のところこの広告で使われているような「高台の辺り一面が茶畑の静岡」という描写は江戸時代にはありませんでした(※)

 

静岡でのお茶の栽培というのはその昔、1244年に聖一国師がお茶の種子を持ち帰り、現在の静岡市に当たる場所に植えたという事が始まりとされています。

その後、江戸時代に至るまで、各所に「規模の大きな茶園(※)」が生まれたりもしているようですが、多くの方々が想像する「辺り一面が茶畑」の光景は、それまでの時代にはなかったのです。

では、あの一面の茶畑はいつ、何故出来たのか。

その答えには「明治維新」が関わってくるのです。

 明治維新のころ、徳川藩士などによる牧之原台地の開墾により、日本一のお茶生産地となりました。1883年には全国の14%足らずだった生産量が、現在では全国の約4割を生産する大産地です。 川根天竜・本山(ほんやま)などの山間地は、気象条件に恵まれた高品質のお茶の産地として有名。また牧之原周辺では、味の濃いお茶づくりをめざし、苦渋みの少ない深蒸し煎茶の製法が開発されました。

静岡県|お茶の産地|お茶百科 より引用

静岡県|お茶の産地|お茶百科

大政奉還の翌慶応4年、徳川慶喜家督を田安亀之助改め徳川家達(いえさと)に譲ると、家達は静岡藩70万石に移封され、6000人もの幕臣駿府に移った。その中の慶喜の護衛にあたった精鋭隊(静岡転出後は新番組と呼ばれた)隊長の中條金之助、副隊長の大草太起次郎、松岡万ら約300名が明治2年版籍奉還を受けて帰農を決意。牧之原台地で茶園の開墾に乗り出した。

静岡茶 - Wikipedia より引用

明治維新の後、武士の時代が終わりを迎えてかつての幕臣駿府(つまりは今の静岡)に移り住み、その中でも徳川家の将軍に使えていた精鋭隊が版籍奉還を受けて、帰農を決意したのがきっかけとなり、牧之原台地に大規模な茶畑を開墾したのが一つの大きな転換点となり、大規模な茶畑が創造されるようになり、今の日本一の生産量を誇る茶畑に繋がるのです。

そして、今回の富士市はどうなのかと言えば

富士市のお茶の歴史

明治初め、茶業における先覚者の一人であった野村一郎は富士愛鷹両山の間の原野を開墾し茶園を造成したとされています。その後、製茶技術の向上のため近江から製茶師を招き、自らも研究を重ねて野村式製茶法を完成させました。
当時お茶は重要な輸出品でしたが野村一郎のお茶は、イギリスや清(中国)の茶商人から「天下一品」の折り紙をつけられました。その製茶技術はこの地域に広がり、現在のようなお茶の一大産地へと展開されています。

茶|JA富士市|富士市農業協同組合 – 静岡県のJA

 という事で、今回題材になったような「辺り一面お茶の大規模なお茶畑」は明治期以降に造られたことが判明。

そのため「葛飾北斎はこのような辺り一面茶畑の静岡を知らない」という事で

実は「とと様(葛飾北斎)は生前このような構図を知らない。ので、お栄さん(北斎ちゃん)が描こうとしている構図は、必然的にとと様が描いたことがない絵になる。」

という図式になるのでした。

※補足

さて、ここから少し、先述のツイートに対する補足を少しさせてもらいます。

当初、当該ツイートを投稿したとき、連投で「明治時代にはこのような大規模な茶畑はなかった。だから、実は当時の北斎はこのような「富士山をバックに一面茶畑の構図は描いたことがない」のだ。」という趣旨のツイートをしたのです。

 ですが、調べ直してみると…当該の「富嶽三十六景」に

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駿州片倉茶園ノ不二

富嶽三十六景 - Wikipedia より引用

「駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)」という「富士山とその麓にある茶畑を運営している農家の図」を描いていることが判明。

 

要は「富士山と茶園」という構図は描いていたんですね。北斎も。

これは私が知らぬままに書いてしまったが故のミスです。申し訳ない。

しかし、その一方でこの「駿州片倉茶園ノ不二」について調べていくと、ある興味深いことが分ったのです。

 

駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)

静岡県富士市
(中略)
しかし、駿河に片倉という地名はありますが茶園として知られてはいません。

この図の場所は不明との説もあるようです。

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駿州片倉茶園の不二 - 葛飾北斎 「富嶽三十六景」解説付き

headlines.yahoo.co.jp

なんと、「場所は大体富士市と判明しているが、詳しい場所までは分かっていない」というのです。

ちなみに富士市というのも、文献によってまちまちなので実際のところ「どこをモチーフとして描いたのか不明、もしかしたら実は実在せず、北斎の創作かもしれない」という非常にあやふやな状態になっているそうです。

 

それらを踏まえて、この広告を見てみると、中々面白い構図をしているとは思いませんか?

北斎が、”富士山と静岡の茶園”を描いたことは判明しているが、どこを描いたのかははっきりしていない(富士市説が有力である)

「一方で、そもそも富士山の元に広がる一面の茶畑は明治維新以降に造られたものであるため、北斎自体はこの光景を知らない

「そして、今回のスケッチの舞台は富士山の南麓、富士市の茶畑の写真を使っている」

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北斎ちゃん以外のこの画像は富士市が提供したもの

これが、偶然かはたまた狙ったのかは少々不明(※)ですが、いずれにしても、不思議なことというのはあるものだなと思います。

最後に~葛飾北斎富士市とサミット~

さて、長々と書いてきましたが、最後に一つ、これについて触れてこの記事を終わろうと思います。

「でも何でこの組み合わせ(葛飾北斎×(富士山×茶畑)×富士市)だったの?」

それを紐解くには昨年富士市で開催された、あるイベントがキーとなるのです。

www.city.fuji.shizuoka.jp

www.at-s.com

2019年10月19日・20日 北斎没後170周年を機に、北斎にゆかりのあるまちや団体が一堂に会し、町おこしや活性化につなげようと、全国初となる北斎サミット」を開催。

そのサミットの会場となったのが富士山の麓、富士市ロゼシアターなのでした。

恐らく、様々な縁があった事や、偶然の一致もあるのかと思いますが、このような奇縁を結び、造りあがったのがあの大きな広告と、富士山と茶畑、そして葛飾北斎(お栄さん)の図なのかもしれませんね。

 

出典元

今回の記事を書くにあたり資料とした各種出典元サイト一覧

‐今回のキャンペーン広告の公式サイトとFGO公式Twitter

5th.fate-go.jp

twitter.com

 

-ロケ地の特定-

hellonavi.jp

www.city.fuji.shizuoka.jp

-静岡茶の歴史について-

www.ocha.tv

www.ochanosato.jp

fuji.ja-shizuoka.or.jp

ja.wikipedia.org

-富嶽三十六景について-

ja.wikipedia.org

fugaku36.net

headlines.yahoo.co.jp

-北斎サミットについて-

www.city.fuji.shizuoka.jp

www.at-s.com

おまけ-静岡茶の通販サイト(今年の新茶は出来がいいらしい。)

www.ochanosato.jp

shop.satoen.co.jp

www.cha-tsuhan.co.jp

www.ichikawaen.co.jp

s-chanoha.com

www.fujiakiyamaen.com

search.rakuten.co.jp